卑属殺人罪
児童虐待の悲惨なニュースを目にするたびに胸を締め付けられます。素朴な疑問として、一体なぜこのようなことができるのでしょうか?被害者となったお子さんのご冥福をお祈りするばかりです。
このような痛ましい事件があるたびに、卑属殺人罪を創設すべきだという声があがります。卑属(ひぞく:子や孫らのことです。)を殺害した場合に、通常の殺人罪よりも重い刑罰を科す内容の法律を作るべきだという議論です。この点、尊属殺人罪に関しては、昭和48年の最高裁判決で、法令違憲の判断がなされました。その際の8裁判官による多数意見は、「尊属に対する敬愛や報恩」という刑法200条の立法目的を正当であるとしつつ、その目的達成手段として採られた刑罰加重の程度が極端に過ぎるところに限って違憲と判断しました。ですので、卑属殺人に関しても、憲法14条1項の法の下の平等に反しない程度で刑罰を加重することは必ずしも不可能ではないようにも思えます。もっとも、この最高裁判決では、6裁判官の少数意見は、理由を異にして立法目的自体を違憲としておりますので、当該最高裁判決から実に45年を経た現代社会において、仮に卑属殺人罪が新設・適用されたとして、公判でこれに対して違憲の主張がなされた場合にどのような司法判断がなされるかは不透明でしょう。
さて、卑属殺人罪の議論はそれはそれとしてよいのですが、当該議論は、「こんなひどいことをした加害者は死刑にすべきだ」というような「応報刑論」の考え方です。「あれだけのことをしたのだから、この程度の刑罰はやむを得ない」、簡単にいえば「目には目を、歯には歯を」の発想です。いわゆる正義の視点から刑罰を科す考え方です。気持ちはよくわかります。被害者のお子さんがどれだけつらかったかを考えると、そのように思う方が大勢いらっしゃるのも当然だと思います。あたたかいごはんが食べたかった、みんなで楽しく遊びたかった、優しく抱きしめて欲しかった、そのような当然のことすら叶わなかったのですから。しかし、その卑属殺人罪を設けるべきとの考え方自体を否定するわけではありませんが、最優先されるべき問題は、今後二度と同じような事件を繰り返さないために実効性のある方法を冷静に考えることではないでしょうか。
とすると、先の応報刑論的な考えは、犯罪の防止に効果があるかという見地からすると、なお疑問が残るでしょう。たとえば、「卑属殺人は死刑」としたところで、児童虐待は根絶されるでしょうか。いくらかは減少するかもしれません。しかし、犯罪であることを知りながらも児童虐待が後を絶たない現状からすると、このような一般予防的発想では、根本的な解決とはならないようにも思えます。 それでは、児童虐待を防止するオルタナティブはないのでしょうか。
児相の権限を強化すべきとの声があります。良いと思います。現行の民法においては、あまりにも親権が強すぎて、児相が手を出せないという弊害があることは事実です。児相のマンパワー拡充および警察との連携強化も必要でしょう。また、親権喪失制度の運用をより積極的に検討すべきとも思います。そしてさらに、平成23年に成立した親権停止制度も有効活用すべきでしょう。これは、最長2年間の親権停止を求めて家庭裁判所に申し立てをする手続きです。親権喪失制度が親権の「喪失」という極めて強力な効果を発生させることから使い勝手が悪かったことに対応して新設された制度です。また、未成年後見人には社会福祉法人などの法人がなることも可能となりましたので、これらが当事者となり関係機関と各種連携して積極的に制度を利用すべきと考えます。
加えて、私はこれが非常に重要だと思うのですが、養子縁組制度の利用をより促進すべきではないでしょうか。日本においては、「血のつながり」にあまりにも重きを置き過ぎていると考えます。しかし、「虐待親であっても親は親なんだから、血のつながった実親のもとで監護すべき」との考えは極めてナンセンスでしょう。子の命が、人生が、何よりも優先されるべきは当然です。子は親の所有物ではありません。たとえ血はつながっていなくとも、大きな愛情を注いで実親子以上のあたたかい家庭を築いていらっしゃるご家族はたくさんいらっしゃいます。 少年事件を担当していますと、親が子に対してきちんと監護養育できていないことが理由で子が非行に走っているというケースが非常に多いです。親を責めることはしません。親も精一杯なのです。しかし、親も子も不幸だと思います。実の子だから、実の親だから、という発想はもちろん重要です。おなかを痛めて生んだ子、血のつながった子。しかし、それが絶対ではないはずです。血縁を他のすべてに優先させる必要性はありません。そのような負のつながりというものはしがらみであり、呪縛になります。親にとっても子にとってもです。無限の可能性を秘めた未来がある子どもの幸福を考えるならば、この血のしがらみなどに拘泥することなく、素晴らしい養親のもとで幸せにすくすくと育ててあげるべきではないでしょうか。自分で育てられない場合には、養子縁組(特に特別養子縁組)手続に速やかにアクセスできる基盤が整っていれば、痛ましい虐待死が減少するのではないでしょうか。日本では、「養子」という言葉に負のイメージがありますが、その点につき意識を変えていく取り組みが今必要ではないかと考えます。
(弁護士 中川内峰幸)