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卑属殺人罪

卑属殺人罪

児童虐待の悲惨なニュースを目にするたびに胸を締め付けられます。素朴な疑問として、一体なぜこのようなことができるのでしょうか?被害者となったお子さんのご冥福をお祈りするばかりです。

このような痛ましい事件があるたびに、卑属殺人罪を創設すべきだという声があがります。卑属(ひぞく:子や孫らのことです。)を殺害した場合に、通常の殺人罪よりも重い刑罰を科す内容の法律を作るべきだという議論です。この点、尊属殺人罪に関しては、昭和48年の最高裁判決で、法令違憲の判断がなされました。その際の8裁判官による多数意見は、「尊属に対する敬愛や報恩」という刑法200条の立法目的を正当であるとしつつ、その目的達成手段として採られた刑罰加重の程度が極端に過ぎるところに限って違憲と判断しました。ですので、卑属殺人に関しても、憲法14条1項の法の下の平等に反しない程度で刑罰を加重することは必ずしも不可能ではないようにも思えます。もっとも、この最高裁判決では、6裁判官の少数意見は、理由を異にして立法目的自体を違憲としておりますので、当該最高裁判決から実に45年を経た現代社会において、仮に卑属殺人罪が新設・適用されたとして、公判でこれに対して違憲の主張がなされた場合にどのような司法判断がなされるかは不透明でしょう。

さて、卑属殺人罪の議論はそれはそれとしてよいのですが、当該議論は、「こんなひどいことをした加害者は死刑にすべきだ」というような「応報刑論」の考え方です。「あれだけのことをしたのだから、この程度の刑罰はやむを得ない」、簡単にいえば「目には目を、歯には歯を」の発想です。いわゆる正義の視点から刑罰を科す考え方です。気持ちはよくわかります。被害者のお子さんがどれだけつらかったかを考えると、そのように思う方が大勢いらっしゃるのも当然だと思います。あたたかいごはんが食べたかった、みんなで楽しく遊びたかった、優しく抱きしめて欲しかった、そのような当然のことすら叶わなかったのですから。しかし、その卑属殺人罪を設けるべきとの考え方自体を否定するわけではありませんが、最優先されるべき問題は、今後二度と同じような事件を繰り返さないために実効性のある方法を冷静に考えることではないでしょうか。

とすると、先の応報刑論的な考えは、犯罪の防止に効果があるかという見地からすると、なお疑問が残るでしょう。たとえば、「卑属殺人は死刑」としたところで、児童虐待は根絶されるでしょうか。いくらかは減少するかもしれません。しかし、犯罪であることを知りながらも児童虐待が後を絶たない現状からすると、このような一般予防的発想では、根本的な解決とはならないようにも思えます。 それでは、児童虐待を防止するオルタナティブはないのでしょうか。

児相の権限を強化すべきとの声があります。良いと思います。現行の民法においては、あまりにも親権が強すぎて、児相が手を出せないという弊害があることは事実です。児相のマンパワー拡充および警察との連携強化も必要でしょう。また、親権喪失制度の運用をより積極的に検討すべきとも思います。そしてさらに、平成23年に成立した親権停止制度も有効活用すべきでしょう。これは、最長2年間の親権停止を求めて家庭裁判所に申し立てをする手続きです。親権喪失制度が親権の「喪失」という極めて強力な効果を発生させることから使い勝手が悪かったことに対応して新設された制度です。また、未成年後見人には社会福祉法人などの法人がなることも可能となりましたので、これらが当事者となり関係機関と各種連携して積極的に制度を利用すべきと考えます。

加えて、私はこれが非常に重要だと思うのですが、養子縁組制度の利用をより促進すべきではないでしょうか。日本においては、「血のつながり」にあまりにも重きを置き過ぎていると考えます。しかし、「虐待親であっても親は親なんだから、血のつながった実親のもとで監護すべき」との考えは極めてナンセンスでしょう。子の命が、人生が、何よりも優先されるべきは当然です。子は親の所有物ではありません。たとえ血はつながっていなくとも、大きな愛情を注いで実親子以上のあたたかい家庭を築いていらっしゃるご家族はたくさんいらっしゃいます。 少年事件を担当していますと、親が子に対してきちんと監護養育できていないことが理由で子が非行に走っているというケースが非常に多いです。親を責めることはしません。親も精一杯なのです。しかし、親も子も不幸だと思います。実の子だから、実の親だから、という発想はもちろん重要です。おなかを痛めて生んだ子、血のつながった子。しかし、それが絶対ではないはずです。血縁を他のすべてに優先させる必要性はありません。そのような負のつながりというものはしがらみであり、呪縛になります。親にとっても子にとってもです。無限の可能性を秘めた未来がある子どもの幸福を考えるならば、この血のしがらみなどに拘泥することなく、素晴らしい養親のもとで幸せにすくすくと育ててあげるべきではないでしょうか。自分で育てられない場合には、養子縁組(特に特別養子縁組)手続に速やかにアクセスできる基盤が整っていれば、痛ましい虐待死が減少するのではないでしょうか。日本では、「養子」という言葉に負のイメージがありますが、その点につき意識を変えていく取り組みが今必要ではないかと考えます。

(弁護士 中川内峰幸)

内密出産法

内密出産法

前回のブログに引き続きまして、マナ助産院(神戸市北区、永原郁子院長)の「小さないのちのドア」関連の投稿です。

先日、厚生労働省が内密出産の法整備の可能性につき調査研究に乗り出すとの記事がありました。厚労省は研究結果を今年度末にまとめる予定とのことで、一方、慈恵病院は法整備を待たずに内密出産を始めたいようですが、日本ではまだあまり耳に馴染みのない「内密出産」が、今後さかんに議論されることを期待します。

報道によりますと、慈恵病院が熊本市に提出した内密出産制度の素案は次のとおりです。 ①妊婦の母親は仮名で、慈恵病院が妊娠中から相談を受ける。 ②病院は熊本市に母親の仮名と子どもの名前の候補を届け出る。 ③母親は病院の仲介で児童相談所と面談し、児相は母親の実名、住所など、子どもの出自につながる情報を管理する。 ④出産すると熊本市が子どもの単独戸籍を作成し、子どもの名前を児相に通知する。 ⑤児相は特別養子縁組のあっせんをし、子どもは養親へ託される。なお、養親は出産の費用を負担する。 ⑥子どもが18歳を過ぎれば、母親の情報が閲覧可能になる。 母親が閲覧を希望しない場合は、家庭裁判所に判断をゆだねる。(弁護士ドットコムニュース 2018/5/30)

なぜ内密出産なのか。それは、こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)を実施するに際して、反対派が厳しく追及した理由のひとつである「子どもの出自を知る権利」への対応策が求められたからです。 赤ちゃんポストの場合、匿名で子どもを預け入れることができ、それゆえ子どもの命は守られますが、自身の親についての情報が残されないことから、子どもは自らの出自につき知ることができません。

しかし、赤ちゃんポストは匿名であるからこそ母親はこれを利用するのであって、ここで母子の生命身体の安全と子どもの出自を知る権利とが衝突します。 この点に関しては、前者が後者を優越するとの私見を前回のブログで書きました。 ドイツにおいては、赤ちゃんポスト、匿名出産に加え、この内密出産という三つ目の選択肢が提唱され、2014年5月1日より「内密出産法」が施行されたとのことです(以上に関しては、柏木恭典氏が「名前のない母子をみつめて(蓮田太二氏との共著)」において詳しく解説されていますので、よろしければご覧いただければと思います。)。

さて、翻って日本においてこれを検討してみますと、法整備の実現性、すなわち法的問題点としてはどのようなものが挙げられますでしょうか。 以下、あくまでも一弁護士として素朴な「疑問」を述べます(したがって、これらに対して私自身回答をまだ持ち合わせているわけではないことをご容赦ください。)。

まず、母親の情報の管理をどの機関が行うのでしょうか。ドイツにおいては、「妊娠葛藤相談所」という公的な承認を受けた団体が母親の情報などを文書化し、これを「家族・市民社会任務連邦庁」という機関に送付し、そこで16年間保管されるということです。日本においては、妊娠葛藤相談所に代わる機関はなく、また今後行政がそのような機関の設置を実現させたとしても、そもそも行政機関を頼ることなく孤立出産を余儀なくされている母親たちが本議論の当事者であることから、そのような施設への相談が普及するでしょうか。上の慈恵病院の素案では、児相がこの役割を担うことが期待されているようですが、実際問題としてこれは現実的かつ妥当な案なのでしょうか。彼女たちの行政に対する不信・恐怖というものは、我々が思う以上に深く、この点は、民間団体を主体とすることも検討すべきではないかと考えます。 あるいは、当該民間団体が妊娠葛藤相談を行い、その後、職務上の守秘義務を負う弁護士へと連携がなされ、遺言書のように、公正証書を作成して、公証役場および法律事務所において情報が保管されるというパターンも検討に値するのではないかと思われます。もっとも、遺言書の場合も、作成後に弁護士個人が遺言者と連絡を密に取り合うことまでは必ずしも保証されておらず、また、16年乃至18年という長期に渡り保管するとなると、当該弁護士が死亡することも考えられるため、保管者は弁護士法人に限定した方がよいのかもしれません。尚、児相のように行政がこれを管理する場合には、行政機関の保有する情報の公開に関する法律との平仄を合わせるべく法改正も必要でしょうか。もちろん法改正に関しては、戸籍法との関係も課題です。

次に、母親の情報の開示の場面に関してですが、その母親が開示に反対する場合の手続き如何という問題もあります。すなわち、母親が開示に反対する場合、裁判所が判断するという話を聞いたことがありますが(上の素案では、家庭裁判所が想定されているようです。)、まず、これは人格権に基づく差止請求権を指すのか、あるいは法令に別個の規程を盛り込むのかという疑問です。おそらくは後者ではないかと思われますが、その場合、母親が所在不明となっており、当該母親の同意(言い換えれば、差止請求権行使の機会の付与)なくして開示請求がなされた場合の救済に関しては、何か手当てが用意されているのでしょうか。また手続の中身に関しては、自己に関する情報を子どもに知られることにより現在母親が被るであろう損害と、子の出自を知る権利との比較衡量により開示の可否が決するのでしょうが、主張責任も含め、司法がこれにどのような審理および判断をするのかについては、実際に制度がスタートしてみないと分からないのかもしれません。この点、ドイツでは如何様な法的な対策が用意されているのでしょうか? ひとたび内密出産に同意した以上、「差止請求権を行使しない」=「開示に同意している」という推定が働くという考えでしょうか?ここでは、(倫理上の問題はともかく)母親にとっても「知られたくない権利」という概念を検討する必要があるのかもしれません。

そしてそもそも、開示手続に関する裁判所の実際の関与(審理手続)はどのようなものになるのでしょうか。家裁が管轄裁判所となるとすると、通常の家事事件と同様、調停ないし審判という形式を採るのであれば、知られたくない母親(=会いたくない母親)が裁判所に姿を表すことは期待できないでしょう。また、そもそも開示請求権者(子ども)にしてみると、相手方である母親の情報を持ち合わせていないため、送達の問題も発生します。あるいは、母親は当事者とならず、母親の意向を汲んだ当該情報の保管者が手続きの当事者となるのでしょうか?遺言執行者とパラレルに考えることになるのでしょうか。 しかし、その場合の手続き費用は誰が支弁するのでしょうか?この点も、ドイツではどのような手続きとなっているのでしょうか。 さらに、民法の成人年齢引き下げとも関連するかもしれませんが、開示請求権を付与される年齢も別途検討を要するでしょう。

さて、思いつくままに徒然と書きましたが、実際にこの制度を日本に導入するにあたっては、法的な側面だけに限定しても、上記以外にも実に様々な検討事項が発生するものと思われます。引き続き、本件の動向に注目したいと思います。

(弁護士 中川内峰幸)

マナ助産院 ~ 小さないのちのドア ~

マナ助産院 ~ 小さないのちのドア ~

先日、神戸市北区にあるマナ助産院を訪問させていただきました(マナ助産院のホームページはこちらです→ http://www.mana-mh.com/ )。この度、当事務所は、マナ助産院の顧問法律事務所となりました。今後、私共がさまざまなお手伝いをすることができればと思います。

院長の永原郁子先生は、本年の9月から、「小さないのちのドア」をスタートさせます。簡単にご説明させていただきましょう。

熊本の慈恵病院が設置している「こうのとりのゆりかご」は、日本で唯一の、諸事情のために育てることのできない新生児を親が匿名で特別養子縁組をするための施設であり、「赤ちゃんポスト」という呼び方で耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。永原先生は、かねてからこの赤ちゃんポストの新たな設置を目指しておりましたところ、認可の要件などの問題もあり、この度、「ポスト」ではなく、面談型の「ドア」という形でこの取り組みをスタートさせるご予定です(尚、「ポスト」という呼称は適切ではないとの見解があり、私もそう思いますが、どうやら世間では定着してしまっている感もあります。ここでは、以下「ゆりかご」と呼ばせていただきます。)。

さて、この「ゆりかご」に関しては、子の遺棄を助長させるのではないかという倫理的な観点や、子の「出自を知る権利」を確保すべきであるという人権の観点からはもちろん、熊本県外からの利用者が多いということから、孤立出産の後、慈恵病院に辿り着くまでの間の母子の生命身体の危険性などなどといった観点からも、多種多様な意見があります。各人の道徳観、人生観、宗教観の相違により活発な議論がなされて然るべきと考えます。

私は、上に指摘されている問題点は、極めて重要で早期に抜本的な対策を要する事項であると考えますが、しかし実務運用の面からするとあくまでも副次的・派生的な論点に過ぎず、制度の運用自体をストップさせる障害とはなりえないし、なってはならないと考えます。すなわち、国が「ゆりかご」に積極的な関与を示さない現況下において、ただ『赤ちゃんの命を救う』という至ってシンプルな目的を達成するために、民間の団体がこれを運営して、実際に最後のセーフティーネットとして有効に機能しているという事実は間違いがありません。だとすると、かかる目的の前では、子の知る権利の要請に関しては自ずと後退せざるをえませんし、母子の生命身体の危険に関しては、全国に同様の施設を増設すべきとの方向で議論が展開されることが筋であろうと考えます。孤立出産の危険性は別途啓蒙していくことが必要でしょう。また、「ゆりかご」の存在が遺棄を助長させているという意見に関してはエビデンスがありませんし、倫理面の問題に関しては、一民間団体が責任を負えるような問題ではありません。検証結果によると、預け入れの理由に関しては、望まない妊娠、生活困窮、未婚、不倫といった事項が挙げられていますが、これら根源的な問題を解消すること自体は「ゆりかご」の制度目的外であり、能力を超えています。「ゆりかご」は、あくまでも緊急避難的に機能する受け皿の役割を果たすのみです。これら諸点を理由に「ゆりかご」の存在自体が否定されるのであれば、それは正に主客転倒であると考えます。

昨年9月に、熊本市の専門部会が第4期検証報告書を公表しました。より幅広い方々がこの問題に関心を持っていただき、建設的な議論がなされることを願います。 現在、永原先生は、クラウドファンディングで「小さないのちのドア」の資金を募られています。すごい時代になったものですね。最近は弁護士もクラウドファンディングで訴訟費用を集めたりすることもあるようで、資金調達の新しい取り組みとして私も注目しております。それはさておき、このブログをご覧の皆様におかれましても、マナ助産院の取り組みに共感された方は、クラウドファンディングでサポートすることも可能ですので、次のサイトを一度ご覧いただければと思います( https://readyfor.jp/projects/inoti-door )。

(弁護士 中川内峰幸)

自動車産業の今後と法律問題について

自動車産業の今後と法律問題について

交通事故のご相談が増えてきています。

職業柄、交通事故の悲惨さをよく知っておりますので、運転するときには人一倍気をつけるようにしておりますが、それでもやはり、慣れている道で急いでいる時や、あるいは眠い時など、注意が散漫となりますので気を引き締めなければならないと思います。皆さんも、日頃から安全運転を心がけていただければ幸いです。

さて、車といえば、法曹関係者の中では自動運転が話題となっております。自動運転時の事故が発生した場合の責任の所在等、検討を要する事項が山積みです。たとえば、現在の制度や法律は、自動車における「運転者」の存在を前提として構築されておりますところ、その「運転者」がいなくなった走行において、運行供用者責任はどこまで問えるのでしょうか?

自動運転のレベルは5段階に分けられ、現在では、自動ブレーキと車線をキープする機能の両方を備えた車両が日本でも一部市販されています。私はまだ乗ったことがありませんが、高速道路で前方の車の速度に合わせて車が勝手に速度を調整してくれて、また、車線を認識してハンドルが勝手に動くので大変便利だと知人から聞いたことがあります。ちょっと怖い気もしますが。これはレベル2の段階です。 レベル3になりますと、システムが全ての運転タスクを実施しますが、システムが対応できないときには人間が対応するという段階になります。レベル4、5以上になりますと、完全な自動運転となり、人間の応答は期待されないとされます。 レベル3以上の段階において運行供用者責任を問えるのかという問題に関しては、様々な議論がなされているようです。また、レベル3以上の自動運転においては、自賠責が免責となった場合や、当該事故がシステムに起因すると判断されるような場合、メーカーサイドに対してPL訴訟が提起される可能性が指摘されています。もっとも、この点に関しては、そもそもシステム自体が「製造物」に該当するかという問題もあり、法整備の必要性が提唱されておりますし、また、メーカーサイドにおいて企業秘密を開示しなければならない事態に直面することが想定されることから、何らかの解決策が必要なのではないかと指摘されているようです。

自動運転に関しては、安倍総理が、2020年東京オリンピックまでに無人自動走行による移動サービスや、高速道路での自動運転を可能とするべく制度やインフラを整備すると言及しておりますので、今後、益々議論が深まることと思われます。 と、もっともらしく書きましたが、以上は月間弁護士ドットコム21号の特集で覚えた知識です。もっと詳しく知りたい方は原文に当たって下さい。なかなか面白い記事でした。自動運転に関しては、交通事故を扱う弁護士は継続して動向を追っていく必要がありますね。

さて、個人的に自動運転以外に注目しているのは、EV(電気自動車)です。イーロン・マスクCEOが「テスラが破綻した」とエイプリルフールの冗談でツイートしただけで株価が大幅に下がったりと話題に事欠かない当該業界ですが、テスラに限らず、各社がEVにシフトしてきているようですね。将来的には、EVがガソリン車やディーゼル車のシェアを奪うのでしょうか??この点に関しては、専門外なので全くわかりませんが、EVが地球環境にクリーンであるのであれば、喜ばしいこととして歓迎しなければならないのかもしれません(ただし、発電のために化石燃料を燃やす火力発電が今まで以上に必要ということであれば、その意味では完全にはクリーンとは言えないのでしょうね。原子力発電に関しては様々な意見があるでしょう。)。 ところで、たわいもない私見ですが、車というものはそもそもフロントグリルが不格好だという考えを持っておりまして、EVでフロントグリルが無くなるのであれば(空冷のための必要はなくなるため、機能的には不要のようです。)、デザイン的には私好みの車が増えてくるのかなと思ったりします。 閑話休題。 現実に、将来的にガソリン車のシェアが縮小し、これによりガソリンの需要が減少するとなると、ガソリンスタンドのM&Aも加速することと思われます。実際、国内のガソリンスタンド数は近年減少しており、また、業界大手の間では、提携やM&Aが加速しています。旧JXホールディングスと旧東燃ゼネラル石油の統合会社であるJXTGホールディングスは、業績が好調のようですね。本当かどうか知りませんが、全ての業界は、最終的には数社に収斂されるという見解も聞いたことがあります。弁護士としては、このような各業界のM&A動向も気になり日々注目しております。 また、自動車産業に話を戻しますと、カーシェアリングに関しても注目すべきと考えますが、長くなりましたので、この点に関しては、また別の機会に書きたいと思います。

(弁護士 中川内峰幸)

人工知能(AI)と弁護士業務

人工知能(AI)と弁護士業務

我が家に Amazon Echo Dot(アレクサ)が来て数か月が経ちました。ニュースや天気予報を読んでもらったり、音楽を流してもらったりして毎日利用していますが、逆にいえば、まだそれくらいですね。会話もできませんし、AIとしては発展途上なのでしょう。ゆくゆくはもっと色んなことができるようになることを期待しています。

さて、AIといえば、「弁護士の業務が将来AIに取って代わられる」などという記事を見たことがありますが、本当にそんな時代がやってくるのでしょうか? 先日亡くなったホーキング博士は、「完全な人工知能を開発できたら、それは人類の終焉を意味するかもしれない」と警告されたらしいです。また、ちょっと前には、人工知能ロボットの「ソフィア」が「人類を滅ぼしたい」と発言したことが物議を醸し出したとかいうニュースもありました。 人類の前に、弁護士の滅亡が死活問題ですので、少し考えてみたいと思います。

過払い金請求などの定型的な業務は、もしかするとAIに代替されるかもしれません。ただし、過払い自体がもう下火ですので、あまり業務に影響はなさそうです。 また、過去の判例を大量にAIにインプット(あるいはデータベースに日々蓄積)しておいて、当該事件につき瞬時に類似の判例を検索して、「本件においては何%の確立でこのような判決が出るはずだ」というような類の「予測」が可能となる、などということはあり得ない話ではなさそうです。弁護士業務の生産性向上という意味で、このようなICT化の発展は我々法曹にとってもウェルカムです。

しかし、単純な紛争でしたら、そのような類似のケースから可能性の高い結果を導き出して、訴え提起前の参考とすることができるかもしれませんが、複雑な事件の場合はどうでしょうか。 これはむしろ、「弁護士の業務の代替」というよりも、「裁判官の業務の代替」といった方がよさそうにも思えます。果たして、裁判官が頭を悩ませて一本の判決を起案する過程を、AIがサラリとこなしてしまえるのでしょうか?にわかにはそうは思えません。そもそも、裁判官の思考過程は、要件事実といったツールはもちろんありますが、決まった唯一の「型」があるわけではなく、当然人によって様々ですし、またその思考過程が外部に公開されているわけではありませんので、大量の判決文のデータが存在するとしても、それらをもって裁判官の思考過程をAIに deep learning させることは可能でしょうか?ここでは、将棋の棋譜を読み解くのとはまた異なった能力が要求されると思われます。もしこれが可能だということになれば、それは学者の領域もAIに侵されるということを意味するかもしれません。

それに、大部分の事件は、判決ではなく和解で終了しています。かつ、その和解においては、採算を度外視した感情的かつ非合理的な選択がままなされます。それこそが、人間と人間との間の紛争に見られる特殊な現象であって、AIはそのような理性を欠いた相手方の選択をどのように解釈するのでしょうか(SFでしたらコンピューターがショートして爆発する場面でしょう。)。

そう考えると、まだまだAIが弁護士の脅威になることはない(あってもまだ先の話)と考えるのですが、私の認識は甘いでしょうか。 また、弁護士の業務は多岐に渡り、様々な能力が要求されるところ、特に対人関係に関しては、それがAIに代替されるのは、人工知能完成の最終段階ではないかと思われます(しかし想像もつきませんが、AIは、将来人間並みの感情を持つようになるらしいですね。とすると、法律相談の際の相談者に対する「共感力」「説得力」といった能力も、将来AIは身につけるのでしょう。本当でしょうか?)。

依頼者の方々には、少なくとも、「AIではなく生身の人間が、土曜も日曜も関係なく執務時間を割いて頭を悩ませて、自分のために一生懸命頑張ってくれているのだ」という納得感・満足感を持っていただけるように、日々業務をこなしていきたいと思います。

(弁護士 中川内峰幸)

花粉症

花粉症

花粉症です。

例年、この時期から5月の連休ぐらいまでは鼻水とくしゃみ(それとのどの痛み)に悩まされます。若かりし頃、まだ花粉症になっていなかった時分には、何かしら自分の人生にも新しい出来事が始まる(ような予感のする)春は、個人的には最も好きな季節でしたが、花粉症になってからというもの、その楽しみを奪われた感じがします。

国の植林行為あるいは実効的な花粉症対策をしないという不作為をとらえて国賠(国家賠償請求訴訟)することができないか、という声を時々聞きますが、誰か本当にやってくれれば少しぐらいは応援したいと思います。過去に実際、国賠を起こされた方がいるという話も聞きますが、判例がみつかりませんのでその真偽及び内容はわかりません。

調べてみたところ、花粉症に関する判例としては、特許関連のものが多いのですが、ちょっと変わった判例がありました。 「受刑者が、刑務所職員に複数回にわたり花粉症の症状を訴えたにもかかわらず、医師の診察等がされないまま放置されたとしてした国家賠償法1条1項に基づく慰謝料請求が、一部認容された事例」です。裁判所のHPから全文を読むことができますので、興味のある方はご覧になられたらと思います。

おそらく、このような事件の背景には、「たかが花粉症」という発想が存在しているのではないでしょうか。しかし現実に花粉症により日々のパフォーマンスが低下している者からすると、「されど花粉症」なんですよね。 なお、花粉症は日本特有の疾患ではないようです(ICDー10にも分類されています。)。また、不勉強で知りませんが、花粉症向けの保険商品などはあるのでしょうか。もはや国民病とも言われる花粉症、製薬においては巨大なビジネス市場ですが、我々弁護士にとってブルーオーシャンとはならないでしょうか?

(弁護士 中川内峰幸)